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【子供の声は「騒音」に危機感】を読んで

ツカサネット新聞 10月5日11時0分配信


最近、子供の足音や声をめぐる騒音問題がニュースに取り上げられている。マンション上階に住む幼児の足音を巡り、36万円賠償命令が下されたり、公園の噴水で遊ぶ子供の声が騒音認定され、西東京市の噴水が使用停止になったりしている。

マンション上階の子供の足音などが騒音として賠償判決が出た事例では、子供の父親の誠意のない姿勢も問題とされ賠償命令へ至ったのだと思う。「しつけ」が必要な部分も確かにあっただろう。私も1児の親であるが、自然な判決として受け取っている。

しかし、公園の噴水遊びはどうだろうか。
読売新聞の記事によれば、「都環境確保条例の騒音規制では、この地域の午前8時~午後7時の基準値を静かな事務所内に相当する50デシベルと定めているが、市が観測したところ、噴水で遊ぶ子供の声は女性の自宅付近で60デシベルと、基準値を超えたという」。

では、近所での工事や小学校の運動会などはどうなるのか? そのたびに「うるさい」と感じる人がいたら、またデシベルを測って、基準値を超えたら工事や運動会を中止にするというのだろうか? 確かに法律上、基準の値を超えているとしても、近所に新しい仲間が増える喜び、子供たちの元気な姿を見られる地域の楽しみとして「前向きに対処」すべき範囲なのではないのか? それは単に「我慢しろ」と言うのではない。時間制限を設けるにしろ、看板を設置するにしろ、停止する以外にも対処法があるはずだ。

確かに、噴水があれば子供は精一杯の大きな声を出して喜んで遊ぶだろう。「あまり大きな声をださないで」なんて、看板も噴水のある場所にしては違和感があるかもしれない。それゆえの使用停止だろう。でもこんな判決が世間にまかり通ったら、子供を持つ親は生きにくくて仕方がない。しつけにも限界はあるし、噴水で遊ぶのにしつけもないものだ。

そもそも、人間の声、しかも悪意のない子供の声を騒音と捕らえることにも、少し疑問を感じる。子供が嫌いな人もいるだろう。徹底的にしつけるべきだという意見もあるだろう。

けれど、あなたは子供のとき叫んだことがなかっただろうか?
噴水に興奮する気持ちに、少し共感はできないだろうか?
止まってしまった噴水に、子供の声があがることはないだろう。
そんな状況に「静かになってよかった」と感じるか、「さみしい」と感じるか…。

あたたかさを感じるのは後者だと思うのは、私だけだろうか。


(記者:茶々丸)





この記事を書いたライターは2つの事例を同列に取り扱ってるのが間違っている。たしかに両方とも子供がからむ裁判の判決ではあるかもしれないが性質の異なる事件であろう。

最初の「子供の足音」。詳細は知らないがいきなり訴えるのではなく経緯があった上でのトラブルであるようだ。
子供の足音ではなく,ピアノの音だったとしても何らかわりはないはずだ。騒音の程度にもよると思うが,賠償請求が認められてもなっとくのいくものだろう。集合住宅で暮していく上で,ある程度の節制は当然必要だろう。

この点はライターも了承しているようだ。

しかし次の[公園の噴水遊び]に関してライターは認識を誤っている。
まず使用停止命令が下ったのは西東京市にたいしてである。子供や親に対してではない。子供の声が騒音か否か議論を挟む余地はなく,明かに環境確保条例に違反するほどの『音』が発せられているのだ。

何も噴水を停止したからといって公園で遊ぶ事を禁止したわけではないだろう。程度の問題である。
子供が興奮して声を張り上げる。それは自然な事だろう。しかし,興奮させて嬌声を上げさせているのは市で管理している噴水なのだ。それなりの防音処置を行なえないなら停止しかないだろう。
また日常的に使われる公園での音と年1回の運動会とでは当然,受忍限度も違ってくる。

訴えた女性は不眠症で子供の声を苦痛に感じていたそうだ。
子供の声,カラオケの歌声,ペットの鳴き声,ピアノの音,自動車のクラクション,ラジオの音…音の種類で騒音かそうでないかを区別しようとするのは到底無理なことではないだろうか。

地域ぐるみで子供を育むのであるなら,公園だし,子供なんだから,多少は回りも我慢しろといっているように聞こえるが。それでは最初の事例「子供の足音」を放置していた親と変わりないではないか。