明日は明日の風が吹いて……個人の日記帳です

アメリカンジョーク好きです

男はつらいよ 寅次郎恋歌

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製作年度: 1971年
監督: 山田洋次
上映時間: 114分

解説
昭和四十九年九月に登場して以来、松竹のドル箱的存在となった「男はつらいよ」シリーズ八作目。なお今回は二時間という大作となり、寅さんの八人目の恋人として池内淳子が出演する。脚本は朝間義隆山田洋次。監督、撮影は前作「男はつらいよ 奮闘篇」同様、山田洋次と高羽哲夫がそれぞれ担当。


他の作品は90分前後ですがこの作品は114分と30分ほど長いです。

寅さんは貴子(マドンナ)に振られたわけではなく自分から身を引いていく…。
寅さんは的屋稼業は終わらせ平凡な家庭を夢見ていたが、貴子はお店を開店する際の資金繰りのことでもめているようでもあり、寅さんについて何もかも捨てて一緒に旅暮らしをしたいといったこ事まで言っていた。そこにすれ違いを感じたので潮時と思ったのか…!?
一人息子のことをこの上なく心配している貴子が本当に旅から旅の生活を望んでいるとも思えない。そういう言い方は借金で夜逃げしたい的な意味ととらず婉曲的な貴子の寅さんへの告白とも取れるんだけどもいつも振られてしまうという考え方の癖がついているからあきらめたとも思える。
惚れっぽい代わりにちょっとした障害があるとすぐあきらめてしまうのだろうか…。


博のお母さんに対する思いも今となっては当然とうなずけても当時(1971年)では進歩的な考えではなかったのだろうか。
母さんは父さんの女中のような生活をして幸せだったもんかと。
ただその父さんも別のりんどうの話のところで人間は一人では生きられないと語っている。まぁ便りにはしていたんだろうと思う。※寅さんに家庭を持つことはいい事だ的に説教する場面。
その世代(戦前生まれ)の人は封建的な婚姻制度を当たり前と感じているんだろうが博のような(戦後生まれ)の人は婚姻に対する考え方も違うって対比でいいのかな…!?


毎回単に寅さんの失恋話で終わらないところに男はつらいよの魅力があるんだよなぁ…。



あらすじ
例によって車寅次郎は半年ぶりで故郷柴又へ帰ってきた。一同は歓迎したつもりだったが、些細な言葉のゆき違いから竜造やつねと喧嘩となり、又もや旅にでることになった。寅が去って静かになったある日、博の母が危篤という電報が入り、光男を竜造夫婦に託した博とさくらは岡山へ急いだ。博の父の諏訪は元大学教授で、研究一筋に生きてきた学者だった。葬式の日、驚ろいたことに寅がヒョッコリ現われた。柴又に電話したことから、葬式のことを知り、近くまできていたから寄ったという。しかし、旅先とはいえ、派手なチェックの背広姿である。さくらは近所の人から借りたダブダブのモーニングを寅に着せ、葬儀に参列させるが、トンチンカンなことばかりやってその場をしらけさせてしまう。岡山で生涯生活するという父親、諏訪を一人残して毅、修、博の兄弟は去っていくが、諏訪の淋しい生活に同情した寅は一度は去った諏訪家に戻ってくる。諏訪も、自分のこれまでの人生をふりかえって、人間らしい生活をするよう寅に語った。秋も深まった頃、柴又「とらや」で皆が集まって寅の噂をしているところに、題経寺山門の近くに最近開店したコーヒー店の女主人六波羅貴子が挨拶に来た。この美人を見て一同は身震いした。もしこの場に寅が居合わせたらどうなることか、と考えたからである。しかも、何たる不幸か、寅はその日帰ってきたのである。みんなの予感は摘中し、寅は貴子に身も心も奪われて、そのまま柴又に滞在する仕儀と相成った。貴子には、学という小学校四年になる男の子があった。学は自閉症的な性格のうえに、新しい学校にも馴染めず、貴子も心を痛めていた。しかし、学は寅にすっかりなつき、明るく元気になった。貴子は寅に感謝した。【そして寅の、貴子に対する思慕はますます高まり、三人一緒に生活する夢まで見るようになった。その頃、さくらや竜造たちは、寅がいつ又失恋することかとハラハラ見守っていた。みんなが、そろそろ二枚目が現われて例によって失恋する時分だと話しているところに寅が帰ってきて、旅に出るために荷物をまとめだした。寅は、心配するさくらに「いくら馬鹿な俺だって潮時ってものを考えてるよ」といい残すとどこへともなく旅だっていった。】