明日は明日の風が吹いて……個人の日記帳です

アメリカンジョーク好きです

サイダーハウス・ルール

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製作年度 1999年
製作国・地域 アメリ
上映時間 131分

あらすじ(goo映画より)
メイン州ニューイングランド。ホーマー(トビー・マグァイア)はセント・クラウズの孤児院で生まれ育った。親代わりのラーチ院長(マイケル・ケイン)の仕事である助産と当時は禁止されていた堕胎の仕事を手伝う彼だが、やがて自身の将来に不安を抱き始める。ある日、ホーマーは手術に訪れた若い女性キャンディ(シャーリーズ・セロン)とその恋人の軍人ウォリー(ポール・ラッド)と共に孤児院を飛び出した。彼はウォリーの誘いで彼の母親オリーヴが経営するリンゴ園で働き、収穫人たちの宿舎サイダーハウスで暮らし始めた。収穫作業のボス、ミスター・ローズ(デルロイ・リンド)は様々なルールをホーマーに教えた。リンゴ園での生活にも慣れた頃、ウォリーは再び戦地へ戻り、キャンディは寂しさを紛らわせるためにウォリーを遊びに連れ出す。キャンディは純粋なホーマーに好意を抱き、ホーマーもまた彼女に初めての恋をし、ふたりは結ばれた。こうして1年が過ぎ、カリフォルニアに移動していたミスター・ローズらが戻ってきたが、彼の娘ローズ・ローズ(エリカ・バドゥ)は妊娠していた。ホーマーは彼女に力を貸してやると励ます。そんな折り、ウォリーが戦地から帰還するという知らせが入る。かくしてホーマーは新たな人生において重要な決断を迫られるのだった。


この作品に対してはすがすがしいような感動はなかった。
むしろ,余韻をひく澱のようなしこりがのこる。

表面的なテーマとして堕胎は是か非かという事がある…
孤児院に医師として赴任しているラーチ先生はやむを得ない
場合は堕胎が女性を救うと考えている,この時代は堕胎禁止法
があり,違法行為だが相談を受けては処置をしている。
産まれることを望まれていない子供たち,言わば孤児院の子供たちの実情を知っているからこそ自らの信念を持って行なっているようだ。

この作品は1940年代の設定だが,カトリックにおいては現在でも堕胎は禁じられており,避妊も公式には認めてないときいたこともあるが…。
アメリカはキリスト教社会だから特に日本よりもこの作品が受けられやすい土壌があるのではないかと思う。
2000年アカデミー助演男優賞,脚色賞を受賞してる。

孤児院では子供たちは引き取り手が現れるのを心待ちにしている。
ホーマーは二度養子に出されたが,そのたびに里親から返され孤児院に戻ってきた。
ラーチは医術を教え孤児院を継がせようと父親の愛情よろしく手塩にかけてホーマーを跡取に育てようとする。
孤児院の理事会はラーチを更迭しようとしている事情もあるのだ。
主人公ホーマーは堕胎には反対で,ラーチの助手としていいように使われているように感じ,手術に訪れていたキャンディとウォリーと共に孤児院を去ってしまう。
ウォリーの仲介でりんご園で働くのだがウォリーのいない間,キャンディと恋仲に…。不倫というか間男というか。どうすべきか悩みつつもりんごの収穫期が終ってもとどまり,ずるずると関係を続けてしまう。
キャンディに夢中になっているのでこの時,ラーチから孤児院に戻るように説得の手紙を受け取るが断る。
※ホーマーは心臓病の為に出征していない。後でわかるのだが,ラーチがホーマーを手元に置いておきたいがために心臓病と偽って徴兵を逃れさせていた。本人はすっかり病気と思っていたのだが…。

ラーチは果ては医学部を出たわけでもないホーマーの偽の卒業証書まで作成し,孤児院を引き継がせようとしている。
ラーチは麻酔に使うエーテルの常用者で中毒で死んでしまう。
英雄になった気分で孤児院に来たが,失望しその後世話役に徹したのだが薬を常用しなけらばやってられなかったのかもしれない。


ミスター・ローズは実の娘を妊娠させ,当事者間で問題が紛糾しつつあり,堕胎には反対であったホーマーがみかねて堕胎を施す。
ホーマーは軍人ウォリーが(下半身付随になって)帰還するのをきき,この頃孤児院に戻る事を決意する。

与えられたルールを守っていくことが幸せにつながるとも限らない。
サイダーハウス(宿舎)に規則の張り紙がしてあり,ホーマーが読み上げるシーンがある。
サイダーハウスに住みこみ,りんご園で働くミスター・ローズがいみじくも語っている。
「その規則は住人じゃないやつが作った。俺達のじゃない。
規則を決めるのは俺達だ。俺たちが毎日決めていく。」
その後規則の書かれた紙を燃やしてしまった。
その後ミスター・ローズは娘に刺され死んでしまうのだが死に際に娘が出ていったあまり,失望のため自殺したことにしてくれと語った。
「おれはきっちり筋を通したいんだ。そうするには規則も破る正しいか?」


主要な人物はみな世間一般のルールからははみ出しているけども表面的には普通の人々…,光と陰の両面を内包しながらも人生を歩んでいかなければならない…。全て含めて人生だという事か。
個々の人生のルールは個々人で決めるのだと主張しているようにも思えたのだけれど,なんだかやるせない作品に感じた。
ホーマーが一回り成長して孤児院に戻ってきた事が一筋の光明だろうか。